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国語科教員の部屋 言うまでもない、は止めよう。
今日、『枕草子』の冒頭を中学生と読んでいたのですが、「さらなり」の訳の「言うまでもない」というと... 今日、『枕草子』の冒頭を中学生と読んでいたのですが、「さらなり」の訳の「言うまでもない」というところをとりあげました。 他にも「言ふべきにあらず」とか、そういう表現はありますが、なぜ「言うまでもないのか」ということを問うと、生徒は「みんなが知っていることだから」と答えました。 清少納言が「をかし」の対象としてあげているものの中で、特に和歌的な美意識に支えられているものは、どうやら「言うまでもない」ようです。こういうところから、古典の知、古典世界のひとたちが共有している知をあぶりだしていくのが授業の中心になります。『枕草子』だとそうなりますね。教科書に採録されている章段の多くは、この手法が有効です。 今日は他に高校生に「村上の先帝の御時に」をやりましたが、これも漢詩の知を共有しているからこそ成り立つコミュニケーションです。天皇の問いかけ「歌をよめ」→兵衛蔵人の応答「雪・月・花の時に」。 一見