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不完全性定理 - 哲学的な何か、あと科学とか
一般的に言って、「数学的に証明された」ことについては、もう議論の余地はない。 どんなに年月が経とう... 一般的に言って、「数学的に証明された」ことについては、もう議論の余地はない。 どんなに年月が経とうと、決して反論されることもなければ、科学理論のように、よりすぐれた理論に取って代わられることもない。主義主張にも善悪にも関係なく、また、どんな嫌なヤツが言ったとしても、数学的に証明されたことは常に正しい。 まさに絶対的な正しさ。 「数学的証明」こそ、永遠不変の真理なのである。 だからこそ、数学を基盤にし、証明を積み重ねていけば、いつかは「世界のすべての問題を解決するひとつの理論体系」「世界の真理」に到達できるのではないかと信じられていた。 さて、1930年頃のこと。 数学界の巨匠ヒルベルトは 「数学理論には矛盾は一切無く、どんな問題でも真偽の判定が可能であること」 を完全に証明しようと、全数学者に一致協力するように呼びかけた。 これは「ヒルベルトプログラム」と呼ばれ、数学の論理的な完成を目指す