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映画「乱」製作秘話
1982年。私は35歳であった。 7月7日から17日までロンドンに行き、大島渚監督の「戦場のメリークリスマス... 1982年。私は35歳であった。 7月7日から17日までロンドンに行き、大島渚監督の「戦場のメリークリスマス」の共同製作契約の交渉を終え、一息ついていた頃だったと思う。「戦場のメリークリスマス」のエグゼキュティブ・プロデューサーであるヘラルドエースの原正人社長から電話があり、黒澤明監督の仕事をしないかと言われた。その後黒澤プロダクションのアソシエート・プロデューサーの野上照代さんから電話があり、8月13日に会議をすることになった。 野上さんの第一印象は、男のような人だなというものであった。全体として黒っぽい洋服を着ていて、モンペのようなズボンを履いていたという記憶がある。太い声で簡潔に話しをし、とても事務能力のある人だと思った。 野上さんの話では、黒澤さんは5年前から「乱」という作品の製作を考えていたが、これまで資金がつかず延び延びになっていた。この度フランスの大手映画会社であるゴーモンが