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坂田金時の謎(中編)~金太郎の本名は下毛野公時だった!~
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※この話も、ゆくゆく七夕に関係してくるのですが、それは後のお話・・・ さて、前回の「坂田金時の謎(... ※この話も、ゆくゆく七夕に関係してくるのですが、それは後のお話・・・ さて、前回の「坂田金時の謎(前編)~足柄山の金太郎は嘘だった!~」では、 以下のような事を述べました。 ①金太郎のストーリーの「母の八重桐」は江戸時代の浄瑠璃が由来である ②「山姥伝説」や「足柄山生まれ」が、後世の江戸時代辺りで付加されている ③「御堂関白記」に公時という人物は実在するが、下毛野公時として出てくる それで、上記の①、②は、江戸時代の浄瑠璃や歌舞伎の物語の影響なのですが、 ③だけは、「坂田金時」と同時代を生きた藤原道長の証言によるものです。 下記のように、坂田金時ではなく、下毛野公時で出てきます。 『御堂関白記』より 寛弘六年(1009年)八月十七日条「宮御馬口付近衛下毛野公時」 ▼藤原道長 したがって、「坂田金時」「金太郎」は、元々、下毛野公時(しもつけのきんとき)だった! ・・・と考えるのが、最も、妥当