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『神も仏も大好きな日本人』島田裕巳(ちくま新書 936):昼食難民の新書生活
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『神も仏も大好きな日本人』島田裕巳(ちくま新書 936):昼食難民の新書生活
『神も仏も大好きな日本人』島田裕巳(ちくま新書 936) 神仏習合については、学校ではあまり教えてくれ... 『神も仏も大好きな日本人』島田裕巳(ちくま新書 936) 神仏習合については、学校ではあまり教えてくれない。 そればかりか、神道と仏教が混交した「純粋」じゃないものとして、一種の「穢れ」のようなタブーの扱いを受けている。「無かったこと」にしたい、という強い意思が働いているようだ。しかし、仏教はもちろん神道も、1000年の神仏習合によって日本人の心に適合したものに変化してきた。 神道側も仏教側も「無かったこと」にしたい神仏習合の解消は、たった140年前の明治維新の廃仏毀釈によってもたらされたのである。 本書は、仏像人気ナンバーワンの阿修羅像の設置場所の変遷をとっかかりにして、廃仏毀釈の嵐によって数多くの寺院が廃寺となったり、衰退した歴史を語る。 神も仏も大好きな日本人の「宗教」を、西欧列国に対抗するためには一神教的な宗教が必要だと考えた明治政府によって、1000年以上にわたって神道と仏教が融