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橄欖追放:東郷雄二のウェブサイト
浜田は1918年 (大正7年)生まれの開業医で、1968年 (昭和43年)往診中に不慮の事故で死亡。享年49歳。リル... 浜田は1918年 (大正7年)生まれの開業医で、1968年 (昭和43年)往診中に不慮の事故で死亡。享年49歳。リルケの詩に傾倒し、浜田遺太郎の筆名で詩人としても作品を発表しているらしい。歌集は死後遺稿をまとめて出版された『架橋』が唯一である。1951年(昭和26年)に『短歌研究』誌のモダニズム特集で、塚本邦雄と並んで世に出た。塚本や岡井とはちがって、その後の前衛短歌運動の積極的な担い手とはならず、歌壇とは距離を置いていたせいか、現在では話題にされることの少ない歌人である。 浜田は、形相と存在をめぐるリルケの形而上学的詩の世界を、短歌に導入したと言われることがある。時に危ういほどの繊細な詩想のふるえには独特のものがあり、一度読んだら忘れることができない。掲載歌の「白昼の星のひかりにのみ開く扉」は、不可視の天上世界への魂の希求であり、「天使住居街」の表現はそれ自体が異様に美しい。塚本邦雄はか