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言い訳の美術史~「神の姿は刻んではならない(キリッ」からのイコン崇拝への道
「神の像はつくっちゃダメ。偶像崇拝は悪。」キリスト教の母体となるユダヤ教はこれを厳格に守っている... 「神の像はつくっちゃダメ。偶像崇拝は悪。」キリスト教の母体となるユダヤ教はこれを厳格に守っているのだが、何故か(?)キリスト教では、キリストの肖像が絵画にも像にも、多数見られる。これらを作るにあたり「どのような」言い訳がされてきたのか。また、キリストの生きた時代に描かれた・刻まれた肖像は一つもないにも関わらず、「どのようにして」姿を決めたのか。 現在では、キリスト像のイメージはだいたい確立されている。多少若かったり年寄りだったりはするにしても、イメージされる像はだいたい、長髪でケをたくわえた、ひょろりとした細身の男性では無いかと思う。しかし、その姿が歴史的なものであるはずはなく、いつかの時間、どこかの場所で「作られた」イメージのはずである。 それがどこで、いつなのか。 また、どうやってその姿を「真実である」と人々に思いこませたのか。 …という話を追いかけてみたところ、けっこう面白い歴史に辿
2018/08/22 リンク