エントリーの編集
エントリーの編集は全ユーザーに共通の機能です。
必ずガイドラインを一読の上ご利用ください。
記事へのコメント1件
- 注目コメント
- 新着コメント
注目コメント算出アルゴリズムの一部にLINEヤフー株式会社の「建設的コメント順位付けモデルAPI」を使用しています
- バナー広告なし
- ミュート機能あり
- ダークモード搭載
関連記事
憤せずんば啓せず
前回のブログ『「憤」の一字を抱く』では、憤の気持ちが何事かをやり遂げるに不可欠なものであること、... 前回のブログ『「憤」の一字を抱く』では、憤の気持ちが何事かをやり遂げるに不可欠なものであること、そしてまた「敬」の心より生じた「恥」の気持ちが、「自分も発奮してもっと頑張ろう」という憤の気持ちに繋がって行くことを述べました。 此の「発奮」あるいは「啓発」の語源となった言葉が『論語』にある孔子の言、「憤せずんば啓せず。悱(ひ)せずんば発せず。一隅を挙げてこれに示し、三隅を以て反(かえ)らざれば、則ち復(ま)たせざるなり」(述而第七の八)です。 孔子は、「学びたいという気持ちがじゅくじゅくと熟して盛り上がってくるようでなければ指導はしない」、「今にも答えが出そうなのだけれど中々出ずに口籠っているようなギリギリの所にまで来なければ教えない」、「一隅を取り上げて示したら残りの三つの隅がピンとこなければ駄目だ」と言っているのです。 『論語』を読んでいますと孔子は、実際そこまで厳しくはなかったのではと
2015/06/29 リンク