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帝国日本の稚拙なグローバル化:『大東亜共栄圏』
大東亜共栄圏といえば、日本の軍国主義が使った無内容なスローガンにすぎないと思われているが、著者は... 大東亜共栄圏といえば、日本の軍国主義が使った無内容なスローガンにすぎないと思われているが、著者はこのキーワードを史料の中で執拗に追いかけ、その意外な実態を明らかにする。この言葉を最初に使ったのは、1940年8月の松岡洋右外相の談話だが、その背景には今とは違う世界情勢の認識があった。 当時はヨーロッパでドイツが破竹の快進撃を続けてフランスが占領され、イギリスが敗れるのも時間の問題だと思われていた。この情勢認識のもとに松岡は三国同盟を結び、世界をそれぞれの共栄圏に分割しようとしたのだ。これは日・独・伊・米・英・ソの6ヶ国で世界を分割するブロック経済の構想だった。 当時としては、これはそれほど突飛な構想ではなかった。アメリカの「モンロー主義」は南北アメリカ大陸を一つの勢力圏とする構想であり、それに対して日本は太平洋の西側を勢力圏とし、ドイツを中心とするヨーロッパの勢力圏と、それぞれの圏内の権益を