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タテ社会の人間関係はいま:人類学と日本史の対話
京大の梅棹忠夫と並び、戦後の日本に文化人類学の魅力を広めた中根千枝(東大)がいう「タテ・ヨコ」は... 京大の梅棹忠夫と並び、戦後の日本に文化人類学の魅力を広めた中根千枝(東大)がいう「タテ・ヨコ」は、平等性とは関係がなく、共同体意識が伸びてゆく方向を指しています。同じ場所に集えば子々孫々まで仲間(タテ)なのか、共通の資格を持てば世界のどこでも仲間(ヨコ)なのか。 ……なので正しく理解すると、日本史を描く上でも使えるんですね。①そもそも日本はいつから「ヨコよりタテ」の共同性に全振りした社会になり、②なぜそれがある時代には高いパフォーマンスを示し、別の時代にはドン底まで行ってしまったのかを、考える手がかりになる。 2011年に『中国化する日本』にまとめる際には、全体の文脈のために見えにくくなりましたが、09年に発表した原型の論文(こちらからDLできます)では、私もはっきりこう書いておりました。 中根〔1967:44-45〕は、同一企業の従業員であるという一体感が労使や職種の別よりも優越している