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『反出生主義である理由①』
私は無でありたかった。 シンプルだが、これに尽きる。 人にされて嫌なことは人にしたくないし、まして... 私は無でありたかった。 シンプルだが、これに尽きる。 人にされて嫌なことは人にしたくないし、ましてや愛する我が子にそんな酷い仕打ちは出来ない。 自分が生まれてきたくなかったのに、可愛い我が子を産み落とすなど出来るわけがない。 ここではっきりと主張しておきたいのが、私も人並みに幸せなことを経験してきたということ。 家族との関係も悪くないし、信頼できる友人もいるし、恋人に愛される喜びも知っている、好きなところに旅行に行くなどプライベートでの自由度は高く、仕事もやりがいを感じられるし、誇りを持ってやっている。 でも、それらの喜びや幸せを全て足しても、"生まれたかったか"と問われれば、答えはNoである。 そりゃ生きてりゃ良い事もあるだろう。 だから何だ?生まれて来なけりゃ、あの人に会えなかっただの、綺麗な景色を見れなかっただの、この喜びを知れなかっただの、人生の苦痛に比べればただのかすみでしかない