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『京都御所の徹底ガイド』
(どの写真もクリックすると拡大します) 京都が1000年もの間に日本の都(宮処:みやこ)だったのも 日... (どの写真もクリックすると拡大します) 京都が1000年もの間に日本の都(宮処:みやこ)だったのも 日本の国家元首である天皇の宮殿が京都にあったからです。 確かに、鎌倉時代と江戸時代には、 それぞれ後の世に鎌倉幕府と江戸幕府と呼ばれる 日本の政治・行政の実質上の中枢機関が京都以外の地にありました。 ただ、これらはあくまでも「幕府」であり、そのオフィシャルな意味は、 「天皇に任命された征夷大将軍の遠征時の仮住まい」なんです。 そういった意味で、天皇の宮殿があった京都は、 東京遷都が行われるまで、まさに日本の首都だったわけです。 さて、平安時代には、天皇の宮殿は、 平安宮内裏(へいあんぐうだいり)と呼ばれ、今の西陣の南にありました。 ところが、何度も火災を繰り返しながらその位置を変え、 鎌倉時代に現在の京都御所の位置に落ち着くことになりました。 京都御所は、南北朝時代の里内裏(仮の皇居)である