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『戦中戦後の東京のスラムを描いた名著 小板橋二郎著 「ふるさとは貧民窟(スラム)なりき」』
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『戦中戦後の東京のスラムを描いた名著 小板橋二郎著 「ふるさとは貧民窟(スラム)なりき」』
板橋本を書く前にこの本を知りたかった…。 自分の情報収集能力のなさに愕然とした。 小板橋二郎著 「ふ... 板橋本を書く前にこの本を知りたかった…。 自分の情報収集能力のなさに愕然とした。 小板橋二郎著 「ふるさとは貧民窟(スラム)なりき」 著者の小板橋さんは板橋区の出身で、現在の都営三田線板橋本町駅近くの、縁切り榎の辺りに住んでいたという。小板橋さんは1938年生まれで、子供時代に戦前~戦中~戦後を経験しているのだが、その当時の縁切り榎周辺は "岩の坂" という名称で、東京を代表するスラム街(いわゆる貧民窟) だったそうだ。 この 「ふるさとは貧民窟なりき」 では、幼少期に経験した岩の坂の貧民窟での生活と、その貧民窟の消滅までを描き、スラム生まれの小板橋さんにしか書けない 「スラム論」 を語っている。(現在の縁切り榎周辺はまるで別の町なので誤解なきよう) オレが生まれたのは75年で、親は小板橋さんが生まれた場所より1kmほど南側の仲宿の商店街で商売をやっていたんだが、その昔板橋宿の "上宿"