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音楽は何のためにあるのか、その問いの空ける穴と向き合うこと
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音楽は何のためにあるのか、その問いの空ける穴と向き合うこと
「宗教は人を幸せにする(ための)ものだ」というフレーズの嘘臭さについて触れましたが、考えてみると... 「宗教は人を幸せにする(ための)ものだ」というフレーズの嘘臭さについて触れましたが、考えてみると「人を幸せにする(ための)ものだ」という言い方は色々なものに使われていて、そのどれもが胡散臭いです。 例えば、音楽は何のために存在するのか、それは「人を幸せにする(ための)ものだ」。芸術全般について、こうした答えがあり得ます。 あるいは、そもそも人は何のために生きているのか、という問いに対して、「幸せになるためだ」という人もいるかもしれません(結論を先取りしてしまえば、この問いと幸せという奇妙な答えの関係が、この手のやり取りの本性に直結しています)。 この答えが出てくるのは、大抵は目的がはっきりしないものについて、その目的が問われた時です。「しゃもじは何のためにあるのか」と問われれば、「ご飯をよそうためだ」と答えるでしょう。「幸せになるためだ」と答える人はいません。 目的のはっきりしたものだとし