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アキバ――秋葉原電気街のはじまりについて
私は、東京生まれではないので秋葉原に行くようになったのは、1970年代の終わり頃からだ。しかも、ラジ... 私は、東京生まれではないので秋葉原に行くようになったのは、1970年代の終わり頃からだ。しかも、ラジオ少年だったわけではないので興味を持つようになったのは1980年代の前半である。その後、友人が『日刊アルバイトニュース』(現在のan)の編集をしていて、その文字ページで秋葉原の取材記事を3回ほどやった。 当時、参考になったのは日経産業新聞の連載をまとめた『The秋葉原―電子産業の縮図』(日経産業新聞編集部、日本経済新聞出版社刊)である。とても貴重な本で、いまアマゾンで見たら29,800円で出ている。それを、自分の足でトレースして話を聞いて回って、はなはだ稚拙ながら「アキバの構造図」のようなものを描いてみた。 秋葉原駅前と中央通りを中心に、当時は昭和通り側、ラジオガァデンのあった神田川を渡ったあたりまで。あまり見せたくない内容だが、編集部によるとそのあとで記事に登場した著名な建築家がその図を褒
2018/08/25 リンク