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李珍景『不穏なるものたちの存在論』について - 外付脳内そっ閉じメモ
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李珍景『不穏なるものたちの存在論』について - 外付脳内そっ閉じメモ
あかねでの読書会の告知です。 7月21日(木曜)あしぶみいさみさん@AshibumiIsamiによる 李珍景『不穏... あかねでの読書会の告知です。 7月21日(木曜)あしぶみいさみさん@AshibumiIsamiによる 李珍景『不穏なるものたちの存在論』の読書会を行います。全2回の予定。本を読んでいない方でも参加OK!20時スタート、料理も出ます。乞うご期待!— 早稲田あかね (@waseda_akane) 2016年7月12日 李珍景『不穏なるものたちの存在論』をわざわざ読書会で扱おうと思ったのは、一読して複雑な感慨を抱いてしまったからだった。日本では遂に実現できなかった、ドゥルーズとマルクスを一つに接合した、いわばドゥルーズ的マルクス主義のようなものを体現できているように感じられて思わず嫉妬してしまったと同時に、やはりドゥルーズとマルクスを強引に一つに切り結ぼうとすると、その代償はあまりにも大きく、問題も多くなることを改めて実感させられてしまった。不穏なるものたちの存在論―人間ですらないもの、卑しいも