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鑑賞者と芸術がともに思考する作品を求めて。石田裕己評「惑星ザムザ」展
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鑑賞者と芸術がともに思考する作品を求めて。石田裕己評「惑星ザムザ」展
鑑賞者と芸術がともに思考する作品を求めて。石田裕己評「惑星ザムザ」展新宿区にある製本印刷工場跡地... 鑑賞者と芸術がともに思考する作品を求めて。石田裕己評「惑星ザムザ」展新宿区にある製本印刷工場跡地でひらかれ、連休中の話題をさらったグループ展「惑星ザムザ」は、布施琳太郎によるキュレーションで17名の作家が参加した。「テキスト以前の物質」を出発点とする本展について、問題提起とその先にある可能性を批評家・キュレーターの石田裕己が論じる。 文=石田裕己 「惑星ザムザ」展の会場となった製本印刷工場跡地 撮影=編集部(すべて) 「観測」と「変身」のはざまで 安定した観測者として 簡単な考え方を指摘することから始めよう。すなわち、〈普段われわれは、モノに概念を当てはめることによってそれを認識している〉ということを、だ。 実際には〈これらはすべて同じである〉とは同定しがたい多種多様なモノについて、例えば〈椅子〉という概念を当てはめることによって、それらを同じ〈椅子〉として認識することが可能となる。そのよ