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東京・高円寺、風俗店やガールズバーが多い歴史的背景
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東京・高円寺、風俗店やガールズバーが多い歴史的背景
高円寺というと一昔前は大槻ケンジに象徴されるパンクロックの街だったが、今は金髪、長髪、黒革に銀の... 高円寺というと一昔前は大槻ケンジに象徴されるパンクロックの街だったが、今は金髪、長髪、黒革に銀の鋲といった出で立ちのパンク野郎を見かけることもなくなった。昔より普通で静かになり、古着屋巡りをするために結構遠くから若者がやってくる街になった。 JR中央線高円寺駅ができたのは1922年のことであり、もうすぐ100周年である。23年に関東大震災が起こると、下町や都心部に住んでいた人々が山手線の西側に移住するようになり、それで高円寺も人口が急増した。 また隣の中野に陸軍があったので、軍人も多く住んだ。高円寺は少尉、中尉、大尉といった尉官、阿佐ヶ谷は少佐、中佐、大佐といった佐官、荻窪は少将、中将、大将といった将官が住むといわれた。サラリーマンでいうと、係長くらいか。だから阿佐ヶ谷や荻窪よりも庶民的である。震災後、高円寺には中央区の佃島の労働者が移住してきたという話もあり、それもあってますます庶民的な