エントリーの編集

エントリーの編集は全ユーザーに共通の機能です。
必ずガイドラインを一読の上ご利用ください。
記事へのコメント0件
- 注目コメント
- 新着コメント
このエントリーにコメントしてみましょう。
注目コメント算出アルゴリズムの一部にLINEヤフー株式会社の「建設的コメント順位付けモデルAPI」を使用しています

- バナー広告なし
- ミュート機能あり
- ダークモード搭載
関連記事
疎開しなかった学童 - ガジ丸が想う沖縄
先週「学童疎開」の話を書いたが、「戦世の終わる頃」と銘打って、お年寄り方からその頃の話を聞き集め... 先週「学童疎開」の話を書いたが、「戦世の終わる頃」と銘打って、お年寄り方からその頃の話を聞き集めていたが、体調不良のため、断念せざるを得なくなった。今までに集めた話はもう1つあり、せっかくなので発表したい。お概ねは口述のとおりであるが、私の勝手な脚色も少し混ざっている。疎開しなかった学童の話。 喜瀬キヨ 昭和6年(1931年)6月15日、首里山川に生まれる。 ○キヨの物語 日本軍はキヨの記憶では1941年頃から周りにいた。その頃、キヨは第二国民学校5年生。学校に軍人がいて、槍を持たされ、槍をつく練習をした。 キヨの家の近くにも日本軍が駐留していた。キヨの記憶では第32軍主力の武部隊であるが、おそらく実際は、その分隊の1つと思われる、押切曹長が隊長だったとのこと。 押切曹長は優しくて、ウチナーンチュにも理解があって、キヨの家族とは、キヨの母がヤマトゥグチ(倭語)が上手だったこともあり、仲良く