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昭和少年通信 ⑳ 昭和42年の漫画界 - 花の四日市スワマエ商店街
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昭和少年通信 ⑳ 昭和42年の漫画界 - 花の四日市スワマエ商店街
昭和42年になると、貸本出版社が多く倒産したとあります。マンガの歴史は、我々団塊の世代の歴史と重... 昭和42年になると、貸本出版社が多く倒産したとあります。マンガの歴史は、我々団塊の世代の歴史と重なります。戦後の貧しい時代、私たちは貸本マンガ店に足しげく通いました。「マンガは子供たちに悪い影響を与える」といわれつつ・・・。やがて、ヒーローの時代となり、付録でパンパンの「少年」や「冒険王」などの月刊誌が発売される月初め(月末?)になると、待ちきれない思いで本屋に詰めかけました。やがて「週刊少年サンデー」や「週刊少年マガジン」が発売されます。こうして、社会への浸透が進み、漫画が認められる時代になってくると、“良いマンガ”について考えられるようになりました。そうした中でも、少女マンガの善戦が目立ちます。底堅いファンがいたからでしょうか?さて、団塊の世代に合わせるかのように、マンガも少年から青年に、大人にも楽しめるようになりました。十年余の間に、出版業界は怒涛の変化に晒されてきたのです。 「月間