エントリーの編集
エントリーの編集は全ユーザーに共通の機能です。
必ずガイドラインを一読の上ご利用ください。
記事へのコメント0件
- 注目コメント
- 新着コメント
このエントリーにコメントしてみましょう。
注目コメント算出アルゴリズムの一部にLINEヤフー株式会社の「建設的コメント順位付けモデルAPI」を使用しています
- バナー広告なし
- ミュート機能あり
- ダークモード搭載
関連記事
保光苑から諏訪公園へ - 花の四日市スワマエ商店街
これは享保時代の地図です。宿場の辻から東海道が左へ伸びていて、左上に諏訪神社の森が描かれている。 ... これは享保時代の地図です。宿場の辻から東海道が左へ伸びていて、左上に諏訪神社の森が描かれている。 東海道分間延絵図を見ると、右下にいわゆる黒門が立っていて、四日市宿の出口(入口?)になっている。諏訪神社は宿場の外だった。そして、神社の西(裏)には何も描かれていない。何にもなかった。 「旧四日市をかたる会」で岡野繁松先生が描かれた、戦前の諏訪公園の様子を掲載させていただく。 本町のみずたにさんは、まちなか博物館を開いてみえて、貴重な絵葉書をお持ちである。 これもその1枚。右から左へ、熊澤図書館、誓の御柱(石山)、市民壇と並ぶ。すっかり整備されているから昭和になってからである。カラー写真であるのが珍しい。 文化展覧会記念として諏訪公園の中の建物が写されている1枚。私は熊沢館の裏に建つ旧図書館(児童館)ではないかと勝手に想像する。違っていたらご指摘いただきたい。 そしてみずたにさん所蔵の絵ハガキ