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煬帝への親書は書簡マニュアルの用語を利用:高松寿夫「『日本書紀』「推古天皇紀」に見える外交文書」 - 聖徳太子研究の最前線
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煬帝への親書は書簡マニュアルの用語を利用:高松寿夫「『日本書紀』「推古天皇紀」に見える外交文書」 - 聖徳太子研究の最前線
前回紹介したシンポジウムは、発表者である阿部泰郎さんと吉原浩人の2人が編者を務め、司会の河野貴美子... 前回紹介したシンポジウムは、発表者である阿部泰郎さんと吉原浩人の2人が編者を務め、司会の河野貴美子さんも書いている論文集、『南岳衡山と聖徳太子信仰』(勉誠社、2018年)の延長版という面もありました。 中世の太子信仰については膨大な資料があるうえ、おどろおどろしいタイプも多く、また研究も積み重ねられていて踏み込むと泥沼なので、このブログでは、明治から戦時中あたりまでの国家主義的な太子信仰は扱うものの、聖徳太子その人に関する論文や研究書を優先し、中世の太子信仰は敬遠してきました。上記の本の中で、太子の時代を扱った唯一の論文が、 高松寿夫「『日本書紀』「推古天皇紀」に見える外交文書」 です。 高松氏は、『日本書紀』に掲載されている煬帝が推古に当てた親書が、蔵書家として知られた清朝の学者、陸心源の『唐文拾遺』(1888年)に「玄宗遺文」として収録されていることから話を始めます。『日本書紀』では隋