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太陽の道を検証する(5)小川光三氏の「太陽の道」④ - 日本の「レイライン」を真面目に研究するブログ
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カテゴリの「目次」をご利用ください。メールアドレスは(tonmana-angler@mail.goo.ne.jp) 「太陽の道... カテゴリの「目次」をご利用ください。メールアドレスは(tonmana-angler@mail.goo.ne.jp) 「太陽の道」私論 前回、「日本書紀」に記載されている、箸墓と斎宮の由来を記したが、この一連の「物語」の中で、箸墓の被葬者である倭迹迹日百襲姫(やまとととびももそひめ)は大物主神の妻であり、一方、斎宮は天照大神に随行した倭姫命(やまとひめのみこと)の御所である。倭迹迹日百襲姫と倭姫命、名前も似ている。その両者の遺跡がほぼ同緯度にあるのだ。これは偶然だろうか? 一応補足しておくと、現在の斎宮跡が、日本書紀の斎宮と同じ場所にあったかは定かではない。だが、たとえ現在の斎宮跡が書紀の斎宮とは違う場所だったとしても、この場所にあることの理由として、箸墓と同緯度であることと関係する可能性はある。 なお、書紀には他に、豊鍬入姫命(とよすきいりびめのみこと)と渟名川入姫命(ぬなきいりびめのみこ