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ヘーゲル「精神現象学」 「実体が主体」という独創|好書好日
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ヘーゲル「精神現象学」 「実体が主体」という独創|好書好日
Georg Wilhelm Friedrich Hegel(1770~1831)。ドイツの哲学者 ... Georg Wilhelm Friedrich Hegel(1770~1831)。ドイツの哲学者 大澤真幸が読む 『精神現象学』は、精神の発展の大パノラマのような驚異の書物である。ヘーゲルは、「感覚」から始まって、「知覚」「悟性」「自己意識」「理性」「精神」「宗教」を経て「絶対知」に至る意識の全成長過程を、目がくらむほど多彩な話題を繰り出しながら論じ尽くす。 この大著を導く最も重要な着想は、序文の「真なるものを実体としてではなく、同様に主体として把握し表現する」という宣言に読み取ることができる。「実体」とは不変の真実在のことで、要するに「神」のことだと思えばよい。その実体が「主体」でもあると見なしたところにヘーゲルの独創がある。 実体が主体である、とはどういうことか。もとにあるイメージは、キリスト教の神の「受肉」である。受肉とは、神(実体)がキリストという人間(主体)になることだ。 この実