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「たとえば、葡萄」書評 普通じゃない人たちの普通の話|好書好日
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「たとえば、葡萄」書評 普通じゃない人たちの普通の話|好書好日
「たとえば、葡萄」 [著]大島真寿美 普通の話、である。 こんなことになるとは、まったく予想もして... 「たとえば、葡萄」 [著]大島真寿美 普通の話、である。 こんなことになるとは、まったく予想もしていなかった二〇一九年末。唐突に〈今だ! 今しかない!〉と勤めていた大手化粧品会社を辞めた二十八歳の美月は、昔から知る母の友人・市子の家に転がりこんだ。 年が明けたら今後の身の振り方をしっかり考えよう。二、三カ月もあれば、なんらかのこたえはみつかるはず。と、思っていた。 なのに。二〇二〇年は〈みるみるうちにおかしくなっていってしまった〉。そう、未(いま)だ謎多き、コロナウィルスのせいで。 三十代を目前にした美月は、市子をはじめとする「還暦カウントダウン」に入った母の友人たちと、ままならぬコロナ禍の日々をモヤモヤと晴れぬ気持ちで過ごしていく。ハローワークへ行っても仕事はない。そもそも自分がなにをしたいのかもわからない。会社を辞めたのは、いろいろなことに我慢して努力して頑張り続けて社内で生き残りたい