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なぜ、秀吉は大陸進出を狙ったのか 小島毅『儒教が支えた明治維新』|じんぶん堂
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記事:晶文社 『儒教が支えた明治維新』(晶文社) 書籍情報はこちら 一五九二年(文禄元)、豊臣秀吉は... 記事:晶文社 『儒教が支えた明治維新』(晶文社) 書籍情報はこちら 一五九二年(文禄元)、豊臣秀吉は十五万の大軍を送って朝鮮に進攻した。韓国では、この歳の干支によって壬辰倭乱と呼んでいる戦争である。 この戦争を、かつて日本では「太閤殿下の朝鮮征伐」と称していた。現在の歴史研究者の間では、この戦争は日本側の侵略行為だったとみなす傾向が強く、「朝鮮侵略」という表現が用いられることが多い。高等学校の日本史の授業でもそう教えられていたりする。すると、今度はこれを不快に感じる人士によって、「自虐史観だ」と批判されるようになっている。 同じ戦争のことを「征伐」と呼ぶか「侵略」と呼ぶかは、それに対してどういう評価(=価値判断)を下しているかの差異に対応している。歴史上の事件をなんと名付けるかは、歴史認識のうえで重要な問題である。歴史とは単に事実を解明するだけの営みではない。その事実を、人間社会の歩みの中