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「黒岩涙香」評伝 “大衆”を見据えた明治の新聞王|じんぶん堂
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「黒岩涙香」評伝 “大衆”を見据えた明治の新聞王|じんぶん堂
記事:ミネルヴァ書房 『黒岩涙香――断じて利の為には非ざるなり』(ミネルヴァ書房) 書籍情報はこちら ... 記事:ミネルヴァ書房 『黒岩涙香――断じて利の為には非ざるなり』(ミネルヴァ書房) 書籍情報はこちら 「黒岩涙香」とは誰なのか 涙香は、きわめて多才な人だった。 自らのペン一本で明治のジャーナリズム界をのし上がり、1892(明治25)年、『萬朝報』を創刊。スキャンダリズムや社会悪の糾弾で一気に部数を伸ばし、「まむしの周六」(周六は涙香の本名)という“悪名”を付けられる。時代を先取りするように“大衆(マス)”を見据え、大衆読者を獲得する手法を常に考えた涙香は、しかし、新聞の持つ公共的な役割を当初から明確に認識した人でもあった。 一方、「探偵小説の元祖」と称される、『巌窟王』『噫無情』『鉄仮面』などを日本へ輸入した業績も忘れるわけにはいかない。 花札にのめりこみ、玉突(ビリヤード)の腕をみがき、競技かるたの普及に尽力。連珠(五目ならべ)、相撲、闘犬が大好きだった。『萬朝報』の題字の上には「趣味