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京都を歩き、諸行無常の悲哀を追体験する 小倉紀蔵『京都思想逍遥』より|じんぶん堂
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京都を歩き、諸行無常の悲哀を追体験する 小倉紀蔵『京都思想逍遥』より|じんぶん堂
記事:筑摩書房 original image: 哲二 川端 / stock.adobe.com 書籍情報はこちら 悲哀する京都 ●悲哀の... 記事:筑摩書房 original image: 哲二 川端 / stock.adobe.com 書籍情報はこちら 悲哀する京都 ●悲哀のみやこ 京都という都市を、「悲哀するひとびとの記憶の集積したまち」としてとらえてみよう。千二百年以上の時間の堆積のなかで、どれだけたくさんの悲哀が、このまちで繰りひろげられたか。それを思えば、気が遠くなりかける。 坂上田村麻呂に東北から平安京に連れてこられ、河内国で殺された蝦夷の阿弖流為と母礼。源氏と平氏の激烈な角逐の悲史。三条河原で処刑された豊臣秀次の家族たち。六条河原で殉教したキリシタンたち。天皇から最底辺の民衆まで、悲哀する人間たちの絢爛たる絵模様が、このまちにはある。 現実の人物だけが悲哀するのではない。京都の文化の特色として、王朝時代以降のあまたのフィクションの記憶もまた、このまちをかたちづくっている。悲恋、悲話、悲歌、悲劇の数々である。 たとえ