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『私の献立日記』沢村貞子(中公文庫) - 書評空間::紀伊國屋書店 KINOKUNIYA::BOOKLOG
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『私の献立日記』沢村貞子(中公文庫) - 書評空間::紀伊國屋書店 KINOKUNIYA::BOOKLOG
→紀伊國屋書店で購入 今夜の献立をどうするか。 ご飯のしたく=料理をすること、と、人のつくったものを... →紀伊國屋書店で購入 今夜の献立をどうするか。 ご飯のしたく=料理をすること、と、人のつくったものを食べるだけの人は考えるようだが、献立の決定と材料の調達からそれははじまっていて、しかも、連綿とつづく日常生活のなかで、栄養が偏らないよう、飽きがこないよう、工夫もこらさねばならず、家事というもののたいていがそうなのであるが、ここまでやればおわり、という仕事ではないので、ときには手を抜きたくなるのが人情というものだ。 前々稿でとりあげたのは、もはや献立という概念すら崩れかかっているいまどきの家族の食卓の現実であり、それとは対照的に前稿では、「今夜のおかず」とは距離のあるきらびやかなメニューの並びにうっとりとさせられた。 食に関する本を手に取りたくなるのはたいてい、毎日の食事づくに倦んだときである。三冊目にしてようやく、そこから脱することができそうだ。 沢村貞子が、二十六年にわたって献立を記録し