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幣原喜重郎がスゴすぎる、こんな首相がいたとは・・・ 『戦争調査会』 | BOOKウォッチ
1945(昭和20)年8月15日。幣原喜重郎(1872~1951)は外出先で玉音放送を聞いた。電車で帰途に就くと、... 1945(昭和20)年8月15日。幣原喜重郎(1872~1951)は外出先で玉音放送を聞いた。電車で帰途に就くと、車内で30代とみられる男が叫んでいた。「なぜ戦争をしなければならなかったのか」。他の乗客たちも「そうだそうだ」と騒ぎ出す。 本書『戦争調査会』(講談社現代新書)は、幣原が遭遇した電車内の「非常な感激の場面」の描写から始まる。若槻礼次郎内閣(1931年4~12月)の外相を最後に10年以上、政治の表舞台から去っていた幣原は70代になっていた。 「敗戦の原因及び実相調査」 幣原はすぐに意見書「終戦善後策」をまとめる。四か条からなる「善後策」の第四条には「政府は我敗戦の原因を調査し、其結果を公表すること」を入れた。幣原はこの「善後策」を携えて、吉田茂外相を訪ねる。戦後すぐに発足した東久邇宮首相は、国民に「総懺悔」を呼び掛けながら、占領軍の要求する「戦争犯罪人の処罰」を行うことができずに
2023/08/18 リンク