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「平屋建ての民家が1軒もありません」10年間で住民が4割弱に…都心の“人口激減地区”のリアル | 文春オンライン
同地区の町会長、今野克彦さん(77)は「ここには平屋建ての民家が1軒もありません。住居をビルにして、... 同地区の町会長、今野克彦さん(77)は「ここには平屋建ての民家が1軒もありません。住居をビルにして、そこに住んでいる人もいますが、51人もいるかなぁ。実際には他地区へ移り住み、仕事にだけ通って来ている人がいます。実は私もそのうちの1人。本拠はここだけど、夜は別の地区に帰ります。本当に茅場町1丁目に住んでいる町会の会員は5世帯ほどだと思います」と話す。 今野さんは日本橋茅場町1丁目の歴史を象徴するような人生を送ってきた。 生まれたのは中国の上海。父は貿易会社の駐在員で、京橋の八丁堀出身の母を伴って渡航した。だが、父には現地召集の赤紙が来て、兵隊に取られてしまった。母は赤ん坊の今野さんを抱えて取り残されたが、たまたま海軍の知人に会って、帰国船の手配をしてもらった。母は結婚前、海軍でタイプライターをしていたのである。 「帰国は1944年。もし海軍の知人に会わなかったら、母も私も命があったかどうか
2021/08/08 リンク