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「皇后の月経に重ならないよう注意」昭和天皇の「母」と「妻」に対する認識の落差があまりにも大きかった理由 | 2024年の論点 | 文春オンライン
だがもちろん、解説が『拝謁記』のポイントにすべて触れているわけではない。ここでは従来あまり注目さ... だがもちろん、解説が『拝謁記』のポイントにすべて触れているわけではない。ここでは従来あまり注目されてこなかった昭和天皇の言葉を通して、天皇が母である皇太后節子(さだこ)(貞明皇后)と妻である皇后良子(ながこ)(香淳皇后)をどう見ていたかを探ってみたい。 昭和天皇は皇太后を「おたゝ様」ないし「大宮様」、皇后を「良宮(ながみや)」と呼んでいる。両者への言及回数を比べてみると、皇太后のほうがはるかに多い。その過剰さは田島道治を狼狽させ、「陛下の大宮様に対する御批評、田島に御馴染深くなりし為か、露骨の事多くなる。(中略)御母子としては如何」(50年12月18日)と思わせるほどになる。 まず注目すべきは、天皇が戦争末期に激化した米軍の空襲を回想する50年7月14日の次の発言だろう。 天皇の重大な発言 「大宮御所を焼き、又沼津本邸を焼き、米国飛行士の話では、私の安心上早く終戦にする為との風説があつたが
2024/01/02 リンク