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ヤナセの梁瀬次郎が1970年代に訴えた「自動車産業の曲がり角」
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ヤナセの梁瀬次郎が1970年代に訴えた「自動車産業の曲がり角」
The Legend Interview不朽 1913年に創刊された週刊ダイヤモンドには、日本の産業史に名を残す大経営者が... The Legend Interview不朽 1913年に創刊された週刊ダイヤモンドには、日本の産業史に名を残す大経営者が数多く登場してきた。その中から、今でも色褪せることのない至極のインタビュー記事を、当時の時代背景に関する解説記事を加えて再編集し、お届けする。 バックナンバー一覧 輸入車販売のヤナセは、三井物産機械部に勤務していた梁瀬長太郎が1914年に、同社からビュイック、キャデラックの輸入販売事業を引き継ぐ形で独立、東京・日比谷公園前に店舗と工場を構えたのが始まりだ。 45年5月、長太郎の次男である梁瀬次郎(1916年6月28日~2008年3月13日)が2代目社長に就いたが、第2次世界大戦の終戦直後は工場に残っていた資材を使って下駄やフライパンを作るのがやっと。貿易業も英文タイプライターの輸入などでほそぼそと再開した。48年には米ゼネラル・モーターズ(GM)からキャデラック、ビュイ