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ドナルド・マレー(7) | タイプライターに魅せられた男たち・第29回(安岡 孝一) | 三省堂 ことばのコラム
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ドナルド・マレー(7) | タイプライターに魅せられた男たち・第29回(安岡 孝一) | 三省堂 ことばのコラム
1906年2月23日、マレーの遠隔タイプライターが、モスクワ~サンクトペテルブルク間を繋ぎました。この頃... 1906年2月23日、マレーの遠隔タイプライターが、モスクワ~サンクトペテルブルク間を繋ぎました。この頃すでに、マレーの遠隔タイプライターは、ロンドン~パリ~ベルリン間や、ニューヨーク~シカゴ間を結んでいました。しかし、マレーの遠隔タイプライターは大量生産が難しく、いくら便利であることがわかっていても、すぐには生産・設置できない、という問題を抱えていました。大量生産を阻んでいたのは、受信機のアクチュエーターでした。既製のタイプライターの下部にアクチュエーターを繋ぐ、というやり方では、受信機を1台1台手作業で作るしかありませんし、おいそれと移動もできません。アクチュエーターを内蔵した電動タイプライターを、マレーは製作する必要があったのです。 「Blickensderfer Electric」 しかし現実には、この当時、実用化されていた電動タイプライターは、わずかに「Blickensderfe