エントリーの編集
エントリーの編集は全ユーザーに共通の機能です。
必ずガイドラインを一読の上ご利用ください。
記事へのコメント0件
- 注目コメント
- 新着コメント
このエントリーにコメントしてみましょう。
注目コメント算出アルゴリズムの一部にLINEヤフー株式会社の「建設的コメント順位付けモデルAPI」を使用しています
- バナー広告なし
- ミュート機能あり
- ダークモード搭載
関連記事
さよなら ハワイアンブルーの電車 (上)
“ハワイアンブルーの電車”、もうすっかり聞かなくなった言葉です。60年前の伊豆急行の開業の頃には、雑... “ハワイアンブルーの電車”、もうすっかり聞かなくなった言葉です。60年前の伊豆急行の開業の頃には、雑誌にも広告にも“ハワイアンブルー”の文字が躍り、伊豆急行の愛称として定着していました。しかし伊豆急の電車もすっかり代替わりしてしまい、最後のハワイアンブルーの電車として、動態保存されていたクモハ103も営業を中止し、60年の歴史に幕を下ろしました。 ▲動態保存として、ほかの車両がなくなったあとも1両だけ残されていたクモハ103だったが、保安装置の期限切れで、ついに7月のさよなら運転で本線を走らなくなった。 伊豆急行建設の歴史をたどると、昭和31年の東急電鉄による伊東~下田の鉄道敷設免許の申請に始まります。ところが翌年、ライバル関係にあった西武系列の駿豆鉄道からも同区間の免許申請が出て、にわかに伊豆半島を舞台にした東急vs西武の陣取り合戦が勃発します。箱根の山を舞台にした両者の戦いは有名ですが