エントリーの編集
エントリーの編集は全ユーザーに共通の機能です。
必ずガイドラインを一読の上ご利用ください。
記事へのコメント0件
- 注目コメント
- 新着コメント
このエントリーにコメントしてみましょう。
注目コメント算出アルゴリズムの一部にLINEヤフー株式会社の「建設的コメント順位付けモデルAPI」を使用しています
- バナー広告なし
- ミュート機能あり
- ダークモード搭載
関連記事
おじさんの加算
阿部公彦「文学を <凝視する>」が激烈におもしろくて一気読みであった。 こんな論説みたいな本がおもし... 阿部公彦「文学を <凝視する>」が激烈におもしろくて一気読みであった。 こんな論説みたいな本がおもしろく読めるようになる日が来るとはなあ、と思わなくもない。 でも、ぼくはそもそも中学高校のとき、国語の試験で読む文章のうち論説文が一番好きだったことを思い出した。 別にイキって言ってるわけではなくてそこにはきちんと事情がある。 論説文が好きというよりは試験で小説を読むのが嫌いだった。 国語の試験の最中に小説を読まされると、序文は省略してあるし、クライマックスまではたどりつかないし、勝手に波線や実線を引かれて色を付けられてしまっているし、ちょくちょく小問に答えなければいけないし、行きつ戻りつ、本来の流れを無視して読み込まされたりもして、とにかく、「試験のために一部分を切り取られてしまった作品」の悲しさばかりが目についた。 「一刻もはやく試験解答技術でこの場を乗り切ってすぐに内容を忘れてしまわない