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筑紫哲也が最後の「23」で語ったこと。そして樹木希林に「つじつま合わせ」と例えた肺がん闘病の日々 「筑紫哲也 NEWS23」とその時代|芸能|婦人公論.jp
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筑紫哲也が最後の「23」で語ったこと。そして樹木希林に「つじつま合わせ」と例えた肺がん闘病の日々 「筑紫哲也 NEWS23」とその時代|芸能|婦人公論.jp
1989年から2008年までTBS系列で放送された報道番組、『筑紫哲也 NEWS23』。骨太でいて、自由なその報道... 1989年から2008年までTBS系列で放送された報道番組、『筑紫哲也 NEWS23』。骨太でいて、自由なその報道スタイルは、戦後テレビジャーナリズムの金字塔と言われます。番組内では「がんを生き抜く」というシリーズで、それまでの報道と違う角度からがんを取り上げ、多くの反響を得ていました。しかし2007年春、キャスターの筑紫哲也さん自身に肺がんが見つかると、症状は徐々に悪化していき…。闘病の日々を、番組の編集長を務めたジャーナリスト、金平茂紀さんが振り返りました。 鹿児島での最後の4カ月 筑紫さんは、症状の悪化とともに『23』に出演を続けることは事実上不可能になっていく。つまり復帰は絶望的になっていったのだ。2008年3月28日が、『23』最後の出演日となった。 からだは当時もうボロボロの限界状態だったことが、筑紫さん本人が書き残した「残日録」というノートから読み取れる。 筑紫家の家族にとっ