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ヤマザキマリ『あしたのジョー』『フランダースの犬』のように主人公が”孤高”だった昭和と”グループ”主流の現代。あらゆるものをマスで一括りに捉える社会に覚えた一抹の不安 連載・地球の住民|話題|婦人公論.jp
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昭和30年代の漫画雑誌を久々に手に取ったマリさん。終戦からさほど時間が経っていないという時代背景も... 昭和30年代の漫画雑誌を久々に手に取ったマリさん。終戦からさほど時間が経っていないという時代背景もあってか、主人公が家族に恵まれていない作品が人気を博していたことに気づいたそう。一方で、現代のマンガやアニメ、芸能界を考えてみるとーー。(文・写真=ヤマザキマリ) 孤高の主人公がいた時代 我が家の本棚にあった昭和34年刊行の少女漫画雑誌を久々にめくってみた。そこで気がついたのは、当時の少女漫画のヒロインの多くが家族に恵まれない孤高の少女たち、ということだ。 親と死別、または生き別れとなり、意地悪な継母やお金持ちの同級生のいじめに遭いながらも懸命に生きている、そんな健気なヒロインの姿に当時の日本の少女たちは心を鷲掴みにされていたのだ。 たったひとりで世間という荒波に揉まれて生きる主人公は、少女漫画に限らず当時の少年漫画でも、やはり幸せとはいえない境遇にあるケースが多い。 『あしたのジョー』にして