エントリーの編集
エントリーの編集は全ユーザーに共通の機能です。
必ずガイドラインを一読の上ご利用ください。
かつてパンダは「敵の工作員」扱いされていた?名前も写真も取り違えられた珍獣・パンダをめぐる戦前報道 中国パンダ外交史|話題|婦人公論.jp
記事へのコメント0件
- 注目コメント
- 新着コメント
このエントリーにコメントしてみましょう。
注目コメント算出アルゴリズムの一部にLINEヤフー株式会社の「建設的コメント順位付けモデルAPI」を使用しています
- バナー広告なし
- ミュート機能あり
- ダークモード搭載
関連記事
かつてパンダは「敵の工作員」扱いされていた?名前も写真も取り違えられた珍獣・パンダをめぐる戦前報道 中国パンダ外交史|話題|婦人公論.jp
ちょうど50年前の1972年10月、日中友好の証として「カンカン」「ランラン」2頭のパンダが贈呈されると、... ちょうど50年前の1972年10月、日中友好の証として「カンカン」「ランラン」2頭のパンダが贈呈されると、日本国内では熱狂的なパンダ・ブームが巻き起こりました。実は中国がパンダの外交的価値に気づいたのは1930年代で、「戦争や革命、経済成長のなかでパンダは政治利用されてきた」と東京女子大学・家永真幸准教授は言います。確かに30年代の日本では、パンダが「敵の工作員」扱いされることもあったそうで――。 徹子、パンダと出合う 生きたパンダの初来日までは、日本でこの珍獣はほとんど知られていなかった。 戦前の1920年代末に、華族の秘境探検家で鳥類学者だった蜂須賀正氏(はちすかまさうじ)が、イギリスの動物収集家が所有する珍獣四不像(シフゾウ)と交換してもらうためにパンダ捕獲計画を検討したとの逸話は残っている。 しかしこれはごく進取的な例外である。こういった特殊な職業者を含め、戦前からパンダに興味をも