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グダグダ(β) 戦後初期の本屋(作業中)
戦後の本屋がどんな感じだったのかはわかっていないのですが文献などにでてくる記述等をまとめてみたい... 戦後の本屋がどんな感じだったのかはわかっていないのですが文献などにでてくる記述等をまとめてみたいと思います。雑多な項目になるかとは思いますが... 1948年 牧志に初の書店幸地、松尾に貸本山田 /戦後の沖縄世相史 p35 幸地長順(幸地書店)は戦前から書店経営、戦後は1947年に石川で貸本屋を開業し後に那覇へ移転。 松尾の貸本屋は山田親度経営で1949年7月7日に開店(のち閉店)、1949年12月に牧志で球陽堂を開店する(国際通り物語)。 仲井真元楷は47年3月、松尾の高台に那覇最初の劇場を建てた。48年、新栄通り会長となる。当初はゲタ・線香・野菜をほそぼそと売っていた。50年12月の新聞には「新栄通り 仲井真書店」とある。 戦後の沖縄世相史 p32 50年4月、土地所有権が公布されると商店の建築ラッシュが続いた。神里原通りに雑貨店44軒、飲食店・料理屋が11軒、洋裁店9軒、美容店7軒ほ