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なぜ佐藤栄作は、誰もが無理だと思っていた「沖縄返還」を実現できたのか(田原 総一朗) @gendai_biz
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なぜ佐藤栄作は、誰もが無理だと思っていた「沖縄返還」を実現できたのか(田原 総一朗) @gendai_biz
←前編「所得倍増の時代」はこちら 佐藤栄作首相の同時代の評価 私は率直に言って、佐藤栄作首相に対して... ←前編「所得倍増の時代」はこちら 佐藤栄作首相の同時代の評価 私は率直に言って、佐藤栄作首相に対してはよい印象を持っていなかった。A級戦犯で逮捕された岸信介の弟という負の前提がある上に、池田勇人のような明るさ、開放的なイメージがなく、高圧的で閉鎖的な政治家だと捉えていた。 あらためて、佐藤首相についての新聞や雑誌の論評を集めると、「官僚的独善」「権力的」「陰険で内向的」「冷酷」「ハラ黒い」など、みごとに負のキーワードが氾濫している。私の佐藤に対する印象も、多分こうした論評に影響されていたのだろうが、あらためて象徴的な出来事を記す。 65年6月22日、佐藤内閣は日韓国交正常化を実現させた。かつて植民地化していて、戦後20年間の空白状態だった韓国との国交を正常化させたのである。 ところが、国会は社会、公明、民社、共産党などの強烈な反対で事実上の審議凍結が続き、最後は議長の抜き打ち発議で自民党だ