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なぜ私は国葬に反発したか│不良もどきの、敬意が徹底的に欠如した政治【哲学・國分功一郎】(國分 功一郎)
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なぜ私は国葬に反発したか│不良もどきの、敬意が徹底的に欠如した政治【哲学・國分功一郎】(國分 功一郎)
9月27日、安倍晋三元首相の国葬が行われた。事前の世論調査では、すべての媒体で反対が半数を超えたなか... 9月27日、安倍晋三元首相の国葬が行われた。事前の世論調査では、すべての媒体で反対が半数を超えたなかの実施だった。国葬の8日前、9月19日に東京大学國分研究室の主催で、東大駒場キャンパスで「国葬を考える」というシンポジウムが開催された。国葬の持つ意味とは何か、安倍元首相が国葬に値する人物なのか。シンポジウムでの個々の発言を再録する。 第4回は東京大学大学院総合文化研究科・教養学部教授の國分功一郎氏(哲学)だ。 安倍政権の責任の追及を 丸山眞男が言った、戦時下天皇制国家の「無責任の体系」。大変有名な言葉ですけれども、この無責任の体系というのは、戦後、天皇が戦争責任をとらなかったことによって戦後に完成したという考え方があるし、そういう考え方ができると思うんです。無責任の体系は戦後に完成している。結局あれでよかったんだ、と。 長期に及んだ第二次安倍政権が終わった後、僕がずっと思っていたのは、あれ