エントリーの編集
エントリーの編集は全ユーザーに共通の機能です。
必ずガイドラインを一読の上ご利用ください。
「日本」は必ずしも「ヤマト」ではなかった…じつはあいまいな「国名」の実態(松岡 正剛)
記事へのコメント0件
- 注目コメント
- 新着コメント
このエントリーにコメントしてみましょう。
注目コメント算出アルゴリズムの一部にLINEヤフー株式会社の「建設的コメント順位付けモデルAPI」を使用しています
- バナー広告なし
- ミュート機能あり
- ダークモード搭載
関連記事
「日本」は必ずしも「ヤマト」ではなかった…じつはあいまいな「国名」の実態(松岡 正剛)
日本文化はハイコンテキストで、一見、分かりにくいと見える文脈や表現にこそ真骨頂がある。「わび・さ... 日本文化はハイコンテキストで、一見、分かりにくいと見える文脈や表現にこそ真骨頂がある。「わび・さび」「数寄」「まねび」……、この国の「深い魅力」を解読する! *本記事は松岡 正剛『日本文化の核心 「ジャパン・スタイル」を読み解く』(講談社現代新書)の内容を抜粋・再編集したものです。 「静かなもの」と「荒々しいもの」 私は相撲が好きです。ラジオ時代の栃若(栃錦・若乃花)のころからずっと見てきました。何がいいかといえば、仕切りまでの「長い静」のあとに軍配が返って「瞬時の動」が激動するのがいい。これは日本です。 呼び出しが扇を開いて東西の四股名を呼ぶと、力士は土俵に上がって口を漱ぎ、塩をまいて、蹲踞の姿勢で相手と見合う。行司も「見合って」と声をかける。こういう静かな仕切りを何度か繰り返しながら、行司の軍配が返った瞬間に、激しい突き押しが始まり、荒々しい凝縮がおこります。わずか数秒の荒々しさのため