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生きるのはなぜこんなに不安なのか…どこにいっても居場所がない「人間の本質」(藤田正勝)
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生きるのはなぜこんなに不安なのか…どこにいっても居場所がない「人間の本質」(藤田正勝)
明治維新以降、日本の哲学者たちは悩み続けてきた。「言葉」や「身体」、「自然」、「社会・国家」とは... 明治維新以降、日本の哲学者たちは悩み続けてきた。「言葉」や「身体」、「自然」、「社会・国家」とは何かを考え続けてきた。そんな先人たちの知的格闘の延長線上に、今日の私たちは立っている。『日本哲学入門』では、日本人が何を考えてきたのか、その本質を紹介している。 ※本記事は藤田正勝『日本哲学入門』から抜粋、編集したものです。 「学の哲学」から「生の哲学」へ 日本の哲学の基礎が踏み固められるうえで西田幾多郎が果たした役割は大きいが、それを踏まえ、あるいはその影響を受け、日本の哲学は大正から昭和に入った頃にさらに多様な展開を遂げ、豊かな成果を生みだしていった。ちょうどこの時期に多くの研究者がヨーロッパに留学し、新しい哲学の潮流に触れたこともその要因となった。 たとえば九鬼周造や田辺元、阿部次郎、三木清、高橋里美、務台理作、和辻哲郎らが大正の後半から昭和の初めにかけてドイツ、フランスに留学し、帰国後、