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田中角栄の挑戦と挫折〜「日本列島改造」と「小選挙区導入」の野心(田原 総一朗) @gendai_biz
田中角栄首相の誕生 佐藤栄作首相の後継を狙って、1972年7月5日の自民党大会でいわゆる「三角大福」、三... 田中角栄首相の誕生 佐藤栄作首相の後継を狙って、1972年7月5日の自民党大会でいわゆる「三角大福」、三木武夫、田中角栄、大平正芳、福田赳夫の4人が立候補し、「角福」の上位2人の決選投票で、田中282票、福田190票と田中角栄が圧勝した。 吉田茂から佐藤までの首相は、石橋湛山以外、いずれも帝国大学卒業で、鳩山一郎・片山哲以外は高級官僚出身であったのに対して、田中は小学校卒という学歴だったが、抜群の頭脳と行政、法律上の知識、そして党内外の人心収攬、官僚の操縦に長けていて、「コンピュータ付きブルドーザー」と称されていた。また「庶民宰相」として、首相になった直後の支持率は62%と、戦後最高であった。 そして田中は総裁選の直前に『日本列島改造論』(日刊工業新聞社)を出版してベストセラーとなっていたが、田中のコンピュータ的発想や政策を解く鍵は、実は彼の幹事長時代の体験にある。 67年4月15日、東京
2016/02/27 リンク