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『戦艦大和ノ最期』から私たちがいま学ぶべきこと〜その"言霊"を読み解く(保坂 正康) @gendai_biz
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保阪正康(ノンフィクション作家) 「生者」と「死者」の言葉 吉田満さんの『戦艦大和ノ最期』について... 保阪正康(ノンフィクション作家) 「生者」と「死者」の言葉 吉田満さんの『戦艦大和ノ最期』について語るに当たり、前提として二、三、まず押さえておきたいことがあります。 一つは、昭和12年(1937)の日中戦争開戦から、昭和20年(1945)の太平洋戦争終結に至るまでで、もっとも多く戦場で亡くなったのはどの世代なのか、ということです。 詳しい統計はありません。私はいろんなかたちの取材で、多くの戦場体験者に話を聞いてきたのですが、大正11年(1922)生まれと大正12年(1923)生まれが戦死者のピークであろうと思います。とくに大正11年生まれが多い。 彼らは昭和17年(1942)、太平洋戦争が始まった直後に、20歳で兵隊検査を受けています。『戦艦大和ノ最期』の著者である吉田満さんは大正12年1月6日の生まれで、多くの大正11年生まれと同じ学年です。 この世代は、戦争で大勢亡くなっていると同時