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日本人が終戦まで「特攻」を止められなかった、驚きの理由(栗原 俊雄) @gendai_biz
なぜ「続けざるを得なかった」のか 1944年10月、大西が第一航空艦隊司令長官としてフィリピンに向かう前... なぜ「続けざるを得なかった」のか 1944年10月、大西が第一航空艦隊司令長官としてフィリピンに向かう前のことである。大西は多田力三中将(軍需省兵器総局第二局長)に特攻構想について話した。 多田が「あまり賛成しない」と述べたところ、大西は「たとえ特攻の成果が十分に挙がらなかったとしても、この戦争で若者達が国のためにこれだけのことをやったということを子孫に残すことは有意義だと思う」と話した(『日本海軍航空史(1)用兵編』)。 また毎日新聞記者で、海軍に従軍していた新名丈夫の証言をみてみよう。 大西は「もはや内地の生産力をあてにして、戦争をすることはできない。戦争は負けるかもししれない。しかしながら後世において、われわれの子孫が、先祖はかく戦えりという歴史を記憶するかぎりは、大和民族は断じて滅亡することはないであろう。われわれはここに全軍捨て身、敗れて悔いなき戦いを決行する」と話していたという
2016/11/13 リンク