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終戦の翌日に自刃した「特攻の父」その夫人の壮絶な慰霊行脚(神立 尚紀) @gendai_biz
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終戦の翌日に自刃した「特攻の父」その夫人の壮絶な慰霊行脚(神立 尚紀) @gendai_biz
最初の特攻を命じたことによって、「特攻の産み親」と呼ばれることになった大西瀧治郎中将は、天皇が玉... 最初の特攻を命じたことによって、「特攻の産み親」と呼ばれることになった大西瀧治郎中将は、天皇が玉音放送を通じて国民に戦争終結を告げたのを見届けて、翌16日未明、渋谷南平台の官舎で割腹して果てた。 特攻作戦を採用した責任者といえる将官たち、前線で「おまえたちだけを死なせはしない」と言いながら特攻を命じた指揮官たちの中で、このような責任のとり方をした者は他に一人もいない。 そして、ひとり残された妻・淑恵さんも、戦後、病を得て息を引き取るまで33年間、清廉かつ壮絶な後半生を送っていた。 最初の慰霊法要に駆け込み、土下座した貴婦人 終戦の翌年、昭和21(1946)年3月のある日、全国の有力新聞に、 〈十三期飛行専修予備学生出身者は連絡されたし。連絡先東京都世田谷区・大山日出男〉 との広告が掲載された。 空襲で、東京、大阪、名古屋はもちろん、全国の主要都市は灰燼に帰し、見わたす限りの廃墟が広がってい