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日本人初の国際的報道写真家が、この国に残した「大いなる功績」(神立 尚紀) @gendai_biz
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日本人初の国際的報道写真家が、この国に残した「大いなる功績」(神立 尚紀) @gendai_biz
「同じ人間なのだから、物おじせず平等に撮れ」 戦後は一時、野村貿易に復職したが、昭和22(1947)年2... 「同じ人間なのだから、物おじせず平等に撮れ」 戦後は一時、野村貿易に復職したが、昭和22(1947)年2月、名取洋之助が主宰し、総合グラフ雑誌「週刊サンニュース」を刊行する「サン・ニュース・フォトス」に入社。東京裁判や、山形県酒田市で行われた、満州事変の黒幕と目される石原莞爾陸軍中将の臨床訊問などを取材したのち、東京・京橋の明治製菓ビル5階にオフィスを構えるINP通信に移籍する。 幸運な偶然は、INPと同じフロアに「LIFE」を発刊するタイム・ライフ社が東京支局を置いていたことだ。 1949(昭和24)年6月27日、シベリア抑留日本人引き揚げの第一船「高砂丸」が舞鶴に入港する際、韓国の有力政治家・金九暗殺事件の取材で不在だった「LIFE」のカール・マイダンスの代役として取材を依頼され、そこで撮った写真が7ページにわたって「LIFE」の誌面を飾った。 東京支局に、「ジュン・ミキを即刻雇え」と