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信仰にすがった祖母と、宗教を否定し暴力を振るう祖父の「すれ違い」(五十嵐 大)
宗教を信じること。それは「個人の自由」だ。目には見えないもの、得体のしれないものを信じることで、... 宗教を信じること。それは「個人の自由」だ。目には見えないもの、得体のしれないものを信じることで、生きるための活力を得る。宗教にはそんな側面があると思う。 同時に、宗教を信じないことも、個人の自由だ。けれど、信仰心の厚い人は、しばしば“信じない人”のことを批判する。地獄に落ちる、罰があたる、といった言葉をぶつけ、信じない人を全否定しようとする。 宗教を信じる人と信じない人。彼らは相容れないのだろうか。ともに生きることはできないのだろうか。 ライターの五十嵐大さんは「宗教三世」として生まれた。祖母が熱心な宗教の信者で、自身も幼い時から朝晩長い時間祈りを捧げる日々だった。そこに疑問を生じたのは、20歳の頃だ。どんな努力も、上手くいけば「信仰のおかげ」、失敗すれば「信仰が足りないからだ」と言われることに大きな疑問を抱き、信仰から離れるようになった。「信教の自由」は憲法にあるし、その人が幸せならばい
2020/05/23 リンク